家族を愛するサラリーマン 兼 社会保険労務士の手帖

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母の帰宅

今週もあと週末を残すだけになりました。

 

今週も1週間ずっと、体調は落ち着いていました。

大きな問題がなく術後5週目を迎えられたことを、本当に感謝しています。

 

昨日、エコーで肝臓と胸水・腹水の状態を先生に見てもらいました。

今は胸水は無くなり(息苦しさはもうありません!)、穿刺して2周間近く体の外に排出していた腹水もほぼ無くなっているということで、穿刺針と腹水のチューブとバックも取り外してもらいました。

 

これであと体に付いているものは、術後3カ月間付けたままの腸ろうのチューブ・ボトルと、流速41mL/hの24時間の点滴だけです。

開腹した傷口はまだホチキスの針状の糸で留めてありますが、これは退院日近くに1つづつ取り外すそうです。

 

退院できるまでもうすぐ、ということを先生からお聞きして、焦らず、一日一日を過ごすことをさらに強く意識しました。

 

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今日、手術前からずっと付き添っていてくれている母が、一度実家へ帰りました。

 

11月から老人ホームに入所した母方の祖母に会いに行き、祖母が元に住んでいた家に行ったり、実家の片付けをしたりするそうです。

ほんの数日間ですが、実家に帰ってお休みしたいと言っていました。

 

今年の9月に僕が移植の適用になることが決まったのと同じ時期に、祖母が老人ホームに入所することが決まりました。

正確に言いうと、「入所が決まった」というより、祖母と母、2人の叔母たちで相談をして、寒くなる冬の前には入所しようね、と話し合ったということです。

 

そして、母が僕の手術前後の付き添いをするために東京に来ている間に、祖母が老人ホームに入所しました。

だから、母は祖母が祖父とずっと一緒に暮らしてきた家を離れる時に、祖母に付き添うことができませんでした。

 

今日も母は実家に帰る前にお見舞いに来てくれて、身の回りのもので不足しているものがないか確認をして、いつもより余分に買ってきてくれました。

 

母と話しながら、僕の手術で祖母が家を出る日に付き添ってあげられなかったこと、手術後に母に自分勝手に必要なものをお願いして、今は僕が帰る家の準備を1人でさせていることを思い、母が帰ったあと、母に申し訳なくて、自分が情けなくて、悲しくなりました。

 

ずっと地元を離れずに生きてきた母が、慣れない東京で1人で過ごすだけで本当に大変なのに、祖母が老人ホームに入所し、僕が大きな手術を受け、どんなに心をすり減らしているか、僕はちゃんと考えて、理解できていませんでした。

 

1番近くにいる家族を大切にしなければいけないことを、本当には理解できてはいませんでした。

 

これからは妻と家族の幸せのために生きていくと、今日、もう一度心に決めました。